自分の未来をはじめよう

脊髄損傷フットボーラーヤマシュウの人生再スタート

かかったか〜!

インフルエンザにかかって完全に機能マヒに陥ってました、ヤマシュウです。

 

せっかく2ヵ月ほど休まず更新してましたが、

色々無理がたたりブログもお休みしてました。

まだ、本調子でないので少しずつ更新頻度を上げていこうと思います。

 

今年のはキツイみたいなので、

皆様もお気を付けて。

 

また、お会いしましょう!

復職するまでにやった事①

怪我して復職するまで1年の予定が5年近くかかるという人生最大の納期遅れを起こした、ヤマシュウです。

 

怪我をする前はスポーツアパレル生産の営業職でした。

繊維関係の仕事は売上や利益に対して人件費が多くかかり、

業務内容にも多岐にわたる上に細かい対応が多く、

平日は毎晩終電まで働いていました。

 

ただでさえ忙しいのに輪をかけて、

中国や東南アジアで生産されたアパレル製品は品質不良も多く、

納品直前になって問題発覚して、

急遽検品工場は行ってひたすら商品の検品することも多々あった。

 

この頃の仕事の話をすればかなりのエピソードがあるのですが、

とにかく車椅子の今となっては絶対に出来ない量の仕事を

体力任せに力技でこなしていました。

 

忙しすぎて、怪我して救急車を待ってる最中から、

仕事の事が頭から離れませんでした。

 

数日後に医者から宣告されたのは

「一生車椅子で、社会復帰は困難です。」

 

それでも会社に復帰することしか考えてなかったので、

「1年リハビリしたら絶対に歩ける様になる」と、

何の根拠もなく無理矢理前を向いていたのがこの頃だと思います。

 

その後1年経ってリハビリ病院を退院して自宅に帰り、

とにかく会社に戻って仕事をすることを考えた。

 

復職するにあたって最初は本当に手探り状態で、

まずは一日中一人で過ごすところからのスタート。

 

ただ、この頃の僕は仕事どころか1日1人で家で過ごせず、家族の協力がなければ何もできなかった。

さらに1人で外出することもできずせっかく買った電動車いすもたからのもちぐされ状態だった。

 

結果このままでは仕事ところでは無いと理解して、

1年9ヶ月の18日にセンターでの生活に突入した。

 

ちょっと長くなったので続きは明日。

スタートライン

週末どんなに忙しくても好きな読書はやめられないインプットバカ、ヤマシュウです。

 

今日読んだのは、何回か紹介している喜多川泰さんの本です。

「スタートライン」

喜多川泰

 

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【内容】

将来に漠として不安を抱えながらも、やりたいこと、やるべきことを見つけられないまま勉学に勤しむ高校3年生の大祐。
東京からの転校生、真苗に、一瞬のうちに心を奪われた大祐は、彼女に誘われて、大きな夢を実現させている人たちの講演を聴くうちに、人生を真剣に考えるようになる。
そして、ある日、ついに大祐は真苗に告白することを決意するが……。

多感な高校生のほのかな恋愛ストーリーのなかに、ちりばめられた著者の熱い想いが、読者に、夢に向かって一歩を踏み出すこと、
計画ではなく情熱をもって行動し続ける勇気を与えずにはいない傑作自己啓発小説。

 

 

気に入ったフレーズを思い出して書いてみる。

 

「今の自分にできることで、自分の価値を判断しちゃいかん。
将来の君らは、今の君らが想像もできんほど大きなことをやって、
多くの人の幸せを左右する存在になってるはずや五年後の自分の可能性を舐めるなよ」

 

 


「自分のやりたいことに挑戦する勇気を持った人にとっては、
未来には、今君らが考えている以上に、楽しいことであふれた毎日が待っている」

 

 

 


「本気でやれば何だって面白い。
そして、本気でやっているもののなかにしか、夢は湧いてこない。夢はそこらへんに落ちているものではない。
夢を探すという言葉を使う人がいるが、探しても見つかりっこない。
見つかるのはせいぜい、儲かりそうな職業や、これならやってもいいかなと思える仕事にすぎない。
夢というのは、自分の内側にしかないものなんだ」

 

 

 


「目の前のことに本気で生きれば、奇跡が起こる。
でも、本当は、それは奇跡ではなく、当たり前の出会いなんだ。
本気で生きる人には、必ずその夢の実現を応援する人が現れる」

 

少し長いフレーズだけど、

今の自分には凄くささったものばかりです。

 

怪我をして順調に進んでいたと思ってた人生が突然絶たれたと思ったけど、

この本を読んでスタートラインは何度でも引き直せるんだと思わせてくれた。

 

今はとにかく目の前のことを頑張ろう。

 

 

阪神淡路大震災、あれから24年

阪神淡路大震災の日はセンター試験の次の日で、

当時受験生だった、ヤマシュウです。

 

1995年1月17日5時46分。

震度7の大地震が神戸の街を襲った。

 

当時、住んでいたのは大阪南部の街で、

揺れは初めて経験するくらい凄かったが、

棚から本が落ちてくるくらいで、

家の付近は大きな被害は無かった。

 

予備校生だった自分はセンター試験の答え合わせのため、

7:00頃に最寄り駅に向かった。

その時、特にテレビでも大きな被害情報はなく、

何事も無かったかのように、家を出たのを覚えている。

 

駅に着くと電車はストップしていて、

多くの人が駅に入れずに、

寒い朝の中長蛇の列を作っていた。

 

仕方なく同じように待とうか、一旦家に帰ろうか迷っていたところ、

地元の友人に会ったので、

時間つぶしに近くの喫茶店に入った。

 

その時、喫茶店のテレビに映っていた情景は信じられないものだった。

阪神高速が倒れて、神戸の街を炎で焼きつくされていた。

初めてこの異常事態に気づき、

友達と別れて家に戻った。

 

死者の数はどんどん増え、

最終的には6,434人が死亡、4万3,792人が重軽傷を負った。

 

若かった僕にとって非常にショックな出来事だった。

身近なところでこんな災害が起こるとは信じられなかった。

 

受験が終わり、大学に通うまでの春休みは、

神戸の街で復興のための肉体労働のアルバイトをした。

命について深く考えさせられたのを覚えている。

 

あれから24年、

日本では東日本大地震を筆頭に、

多くの自然災害が起きている。

 

我らの様に身体に重度の障害がある場合は、

その瞬間に自分の命を落とす選択をしなければならないとも思っている。

だらこそ、日頃から本気で災害には備えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を語る飲み会

馬肉を食べた時に「ウマい〜!」と言うかどうか迷ってやめた、ヤマシュウです。

 

今日は男3人で飲み会。

 

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最近知り合った若者たちで、

僕以外の2人は一回り歳下なんだけど、

2人ともそれぞれ行動力が半端なく、

夢を持ちそれを実現しながら生きているナイスガイでした。

 

今まで怪我をする前は、

ほとんど飲む相手といえば同じ会社の同僚か、

取引先の方ばかりだった。

 

仕事の話も時には熱い議論もあり、

全てが悪いわけでは無かったが、

その会話のほとんどは変わりばえのない過去の会話や、

周囲の人間関係の話だった。

 

その時はそれでも満足で、

残業のない日は毎日の様に飲んで帰っていた。

 

ここ最近は仕事関係以外のメンバーと飲む機会が増え、

それぞれ全く異なる環境で活躍する話や、

特に「未来」の話している。

 

「未来」の話はしていてワクワクする。

それぞれがこれからどんな目標に向かっているかを知り、

互いにその目標に対して意見を言い合う。

単なる応援だけでなく、

時にそのダメ出しもあるが、

結果的にその目標を応援するものとなる。

 

やりたい事や目標を宣言すると、

応援者が増えて、

仲間や協力者が現れる。

ぐっとその目標の達成への道が開かれる。

 

特に今は何もなくても、

話を聞いて刺激を受けるだけでもいいと思う。

 

最初は応援する側から始めて、

いつかやりたい事が見つかった時に、

その応援は自分に返ってくるだろう。

 

僕の夢はまだまだ曖昧だけど、

今は夢を語る人を応援しながら、

夢を形にしていきたいと思う。

 

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登山家の栗城史多氏に助けられた

小学生の頃、大阪の金剛山に(たった)50回位登ったのが自慢でした、ヤマシュウです。

 

昨日NHKで登山家の故栗城史多氏のドキュメンタリー番組があった。

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「単独・無酸素」でエベレスト登頂にチャレンジしていたが、

昨年5月のエベレスト登山中に滑落事故で命を落とした。

 

その無謀なチャレンジにSNSでの批判的なコメントは多く、

専門家からも疑問視された意見も多かった。

 

人がどう評価するかは自由である。

ただし、栗城さんは今の自分にとって大きな存在で、

彼のエベレストへの挑戦と「冒険の共有」がきっかけで今の自分がいる。

 

彼の存在を知ったのは怪我をしてすぐに運ばれた

急性期病院のベッド上で観たドキュメンタリー番組だ。

 

当時、寝たきりで首しか動かせなかった僕の目に飛び込んできたのは、

エベレスト登頂を独りで自撮りしながら登る彼の姿だ。

初めてみたエベレスト登山の情景に、

この時は何となく「凄いなぁ」くらいの感じで終わっていた。

 

それから1年位経って、再び彼のドキュメンタリー番組があった。

この時の自分は少しずつリハビリはしてたものの、

まだ一人で外に出ることも出来ず、

また慢性的に起こる指先から肩までの強烈なシビレに悩まされ、

このまま社会に復帰できるのかどうか不安しかなった。

 

初めて見た時と違って、この2回目のドキュメンタリーを見た時は、

画面に映る彼の「生きる力」に強烈な印象を受けた。

 

彼の挑戦するのは「デスゾーン」と呼ばれる過酷な場所。

8,000mを超えると酸素濃度は通常の3分の1、

氷点下20〜30℃で猛烈な吹雪に襲われたり、

危険な雪崩やクレバスと呼ばれる深い割れ目など、

生物の存在が許されない聖域だ。

 

ここで孤軍奮闘する栗城氏の姿は、

不安で弱り切っていた自分に「勇気」を与えてくれた。

 

たかがシビレや車椅子で外に出ることに躊躇してる

自分が情けなくなった。

 

それから彼の動画を見たり書籍を読んで、

少しずつだが勇気を持って行動に移すことができる様になった。

 

そんな彼が登頂中でひどい凍傷で、

指を9本失うことになった。

 

今度は自分が何か出来ないか?

 

とにかく会って話をして、

頑張って欲しいと伝えたくなり、

たまたま開催された講演会に参加して、

会が終わってから彼に話しかけるチャンスを見つけた。

お互い苦しいけど乗り越えて、

色々とチャレンジしようという会話を交わした。

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何も出来なかった自分に行動する勇気をくれた。

彼がいなかったら今の自分は無かったかもしれない。

 

今でも亡くなった事は信じられないが、

彼の求めた「冒険の共有」をこれからの自分の人生に生かして、

彼の分まで強く生きていこうと思う。

CO-FUKU塾の活動について

怪我をして、風邪を引かなくなった、ヤマシュウです。

 

昨年よりある活動に参加している。

コオフク塾(CO-FUKU塾)

https://co-fuku.com

 

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この活動は車椅子ユーザーや視覚障害、その他の障害を持った人が、

一般の健常者と同じ様に"誰でもおしゃれが楽しめる社会"を目指してます。

 

こちらに参加したのは、昨年11月の渋谷「超福祉」という福祉イベントで、

たまたまこのコオフク塾のプレゼンを見たのがきっかけで、

車椅子ユーザー当事者の自分と繊維アパレルの仕事をしてた自分であれば、

こんな自分でも世の役に立てるのかと思いました。

 

まだまだ僕はこれからの活動ですが、

服を通じて健常者と障害者の垣根を無くし、

誰もが着こなせるユニバーサルファッションのブランドを立ち上げていけたらと思ってます。

 

この活動に参加し始めて、改めて世の中の障害者のことを知るきっかけになり、

自分自身もさらに成長出来ると感じています。

 

この活動は、随時ブログにアップしていこうと思います。