阪神淡路大震災、あれから24年
当時受験生だった、ヤマシュウです。
1995年1月17日5時46分。
当時、住んでいたのは大阪南部の街で、
揺れは初めて経験するくらい凄かったが、
棚から本が落ちてくるくらいで、
家の付近は大きな被害は無かった。
予備校生だった自分はセンター試験の答え合わせのため、
7:00頃に最寄り駅に向かった。
その時、特にテレビでも大きな被害情報はなく、
何事も無かったかのように、家を出たのを覚えている。
駅に着くと電車はストップしていて、
多くの人が駅に入れずに、
寒い朝の中長蛇の列を作っていた。
仕方なく同じように待とうか、一旦家に帰ろうか迷っていたところ、
地元の友人に会ったので、
時間つぶしに近くの喫茶店に入った。
その時、喫茶店のテレビに映っていた情景は信じられないものだった。
阪神高速が倒れて、神戸の街を炎で焼きつくされていた。
初めてこの異常事態に気づき、
友達と別れて家に戻った。
死者の数はどんどん増え、
最終的には6,434人が死亡、4万3,792人が重軽傷を負った。
若かった僕にとって非常にショックな出来事だった。
身近なところでこんな災害が起こるとは信じられなかった。
受験が終わり、大学に通うまでの春休みは、
神戸の街で復興のための肉体労働のアルバイトをした。
命について深く考えさせられたのを覚えている。
あれから24年、
日本では東日本大地震を筆頭に、
多くの自然災害が起きている。
我らの様に身体に重度の障害がある場合は、
その瞬間に自分の命を落とす選択をしなければならないとも思っている。
だらこそ、日頃から本気で災害には備えなければならない。