急性期病院
救急車にはもう乗りたくない、ヤマシュウです。
バリアフリーな世の中で、自分らしく生きる方法をさがしてます!
僕がラグビーの試合で怪我をしてすぐに救急車で、運ばれてはじめに入院した病院は、錦糸町駅近くの都立墨東病院でした。
急性期病院はいわゆる救急病院で、緊急の患者が運ばれる病院になります。
僕はこの病院に9月11日に運ばれてから10月1日の転院までの約3週間入院していました。
2~3回だけ行ったリハビリ室の窓から、
まだ出来上がる前のスカイツリーが見えたのを覚えています。
急性期の治療
急性期にはまず全身状態を安定させ、損傷を最小限に抑えることが重要になります。薬や手術で脊髄の圧迫を緩和する治療をすることもあります。特に頸髄損傷では肺の機能が低下するために呼吸器を使うこともありますし、肺炎も合併しやすくなります。また、全身の筋肉の緊張が著しく低下し褥瘡(床ずれ)を起こしたり、深部静脈血栓症や肺塞栓といった動かないことによる二次的な合併症も起こしやすくなったりします。そういった合併症を予防するために、リハビリテーションとして頻繁な体位変換や呼吸の訓練、関節が固まらないように関節可動域訓練などを行います。今後どのような障害が残るかを急性期から予測し、それに向けた対応を早期から行うことが重要です。
僕も誤嚥性肺炎になり、のどに管を入れました。
今はふさがりましたが、タンを吸引するためにのどに穴を開けるんですが、
この、のどから吸引される時が苦しくてたまらないんです。
振り返るとよく耐えたと思います。
また、頭を固定するための「ハローベスト」という鉄の棒を頭蓋骨にドリルで固定するのですが、これが麻酔をするとは言え、眉毛の上と耳の横にドリルを当てられた時は恐ろしくて仕方ありませんでした。
首はコルセットで固定されて、褥瘡(床ずれ)ができないように3時間おきに、
体の向きを変えられるのでTVもまともに見れず、
ずっと天井を見ながらラジオを聞いていました。
一日かかっていたラジオは"東京FM”
いまだに東京FMのCMに行く前のフレーズを聞くと、
この病院の情景が思い出されるので、
少し前までは東京FMは聞くのが嫌でしたね。
今から思えば何も知らずに、リハビリさえ頑張ればすぐに元に戻るだろうという
安易な希望的観測しか持ってなかったですね。
だからなのか、お見舞いに来てくれた人の前では、
やけに受け入れて元気にふるまえる自分がいた。
でも、よくわかってないだけでこれから知っていく現実の厳しさも知らずに、
受け入れようと自分に言い聞かせてただけだった。
ただ、弱い自分を一瞬でも許すと、すべての感情が崩れそうだったのかもしれない。
この急性期病院という場所は命の時間を決めたり、
その後の人生を大きく左右される場所だ。
その空間で過ごす時間は本当に苦しく、悩み、時間が巻き戻ることだけを切望する。
今の僕がこの時の自分に声をかけるとすれば、
「今は焦るだろうが、すべては時間が解決してくれるから大丈夫。」
こう言うだろう。